大阪ゆかりの人物(与謝野晶子)
与謝野晶子の生涯についてご紹介します。
大阪は1万年以上昔から人類が生活していたと言われています。5世紀ごろは、朝鮮半島などから大陸の文化が伝わってきて大阪は日本の中心的な町でした。7世紀には、日本で初めての中国の都となる都城が大阪にできて、繁栄しました。12世紀後半は、武士が政権がを握り、争いが絶えませんでしたが、堺は独自の商業と文化を発展し続けました。そして、豊臣秀吉が大阪城を作ると、大阪は政治・経済の中心的な役割を果たすようになりました。17世紀に入ると、江戸に政治の中心は移ってしまいますが、大阪は天下の台所として、経済の中心的な役割を果たします。その頃、大阪では町民文化が花開き、懐徳堂などの私塾も増えました。19世紀には、明治維新と近代国家成立によって大阪は混沌としてしまいますが、工業都市として近代化への道を開きます。第二次世界大戦には空襲を受けてしまいますが、商業の都として回復し、今もなお発展し続けています。
大阪は、難波周辺をミナミと呼び、梅田周辺をキタと呼んでいます。はっきりとした区切りはありませんが、同じ大阪の中でもイメージがガラリと変わります。キタは大阪の玄関口で、スタイリッシュでレストランの値段も高めになります。標準語で話している人もわりと居ます。一方、ミナミは会社勤めの人と遊びに来ている人両方存在し、泉州弁がよく使われています。キタとミナミでは性格も違ってきます。
大阪は商店街が多く、個性的な商店街が立ち並んでいます。大阪天満宮そばにある天神橋筋商店街は、日本一長い商店街で、全長2.6キロあります。福島駅前にある福島聖天通商店街は、本来、了徳院の参詣道であり、了徳院は恋愛成就の神様であることから占いが盛んで、占い師が多く集まり、連日、恋愛相談に訪れる人が沢山居ます。鶴橋駅と桃谷駅の中間地点にある御幸通商店街は、韓国語も聞こえてきて、キムチや焼肉などの韓国料理店が多くあり、韓国の民族衣装も売られています。
